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リレーコラム うさぎの小箱

月見の里学遊館 11年目からのスタート~将来へのヴィジョン 前篇

2007年より月見の里学遊館企画スタッフに就く戸舘正史が、袋井市文化協会グループ(袋井市文化協会・飛躍のまちづくり実行委員会・東海ビル管理・遠鉄自動車学校)の月見の里学遊館指定管理者としての1期目(2009年4月~2012年3月)を終え、次期指定管理者として採択を目指すにあたり、これまでの月見の里学遊館の歩みを振り返ります。

“広場”を目指す“ワークショップセンター”
夏休みに入ってから、館内に小学生たちが入り浸っている。本当に入り浸っているという表現がピッタリであり、事務局も時々小学生たちに占拠されるので仕事をするうえで邪魔なこと甚だしだが、なかなか心地よくもある。"ワークショップセンター"と大きいことを言ってしまっている月見の里学遊館だが、ちゃんとプログラミングをした"ワークショップ"は、週末に開催する程度であり、私たちの日常は貸館を中心に動いている。この日常をいかに"ワークショップセンター"にするかが、当館の最も大事なミッションであるのだ。そうすると「"ワークショップセンター"とはなんだろう?」ということに立ち返らなければならないのだが、きっとそれは"広場"であることなんだと思う。"広場"とは不特定多数の人たちが集まる場所だ。そこに集った人たちの、ひとりひとり違った価値観や生き方を、試行錯誤しながら、互いに認め合う現場になることが月見の里学遊館の役割であり、この1年ほどで、そうなり得る場所にやっとなってきたなぁというのが実感である。夏休みに集う小学生たちが、時々ケンカしながら、そしてちょっとしたイジメなんかもあったりしても、すぐにまた仲良く遊んでいる姿を見ていると、「うん、こういうことだ」と思ったりしている。ここまで来るのに10年かかったのだ。
市民運営による華々しいオープン
2001年に市の直営として開館した月見の里学遊館では、市が自主事業の運営を市民ボランティア組織「飛躍のまちづくり実行委員会」に委託し、原則的に館自主事業の企画立案・運営は、市民サポーターというボランティアが担ってきた(貸館およびプールなどは市の直営であり、当然事務局は館長以下、市の職員が配置された)。館の運営方針、運営体制にあたっては、設計をした建築家・長谷川逸子の意向が反映され、開館以前から市民運営型を担う人材を育成するためのワークショップなどを開催してきた。長谷川としては、湘南台文化センターなどの成功例を引っ提げ、市民が主体となったさらなる文化創造の場を袋井に誕生させる意気込みがあったと考えられる。そうした長谷川構想の最大のウリであったのが、飛躍のまちづくり実行委員会の存在と、全国公募によるプロパー職員の常勤であったと思う。
自主事業企画の行き詰まり

開館時、全国公募された企画スタッフは、館運営の要として市当局としても重要なポストとして位置づけられていた。しかし、アーツマネージメントを修めた企画スタッフのひとりが、飛躍のまちづくり実行委員会と市当局(教育委員会)との板挟みにあい、開館2年を過ぎたころ、契約半ばで辞職に追い込まれた。以後、企画スタッフは、雇用条件が改定されて市の臨時職員扱いとなり、開館当初のワークショップセンターの理念を継承する人材は配置されず6年が経過していった。2007年4月に私が月見の里学遊館企画スタッフに採用された時の状況は、市民サポーターによる自主事業の企画力は、特にホール事業において、ほとんど風前の灯のように見えた。東京などのプロモーターから売り込まれてくるコンサート企画や芸能人の公演プランなどを、「集客できるかどうか」という観点から選んでいく、"自主"事業とは名ばかりの実態がそこにあった。また、「市民参加」と銘打った舞台公演なども、「公募の市民コーラスが舞台に立つ」といった程度のもので、取り立てて発信性のある水準のものとは言えなかった。また、その他のワークショップや講座事業においても、まず何より市民サポーターが講師となるということが前提のもとで企画されており、自ら先生となるがために市民サポーターに登録している方が非常に多かった。

いずれにせよ、建築家・長谷川逸子の提唱のもと、市民による独自の文化を発信していくという精神は、あまり意識されずに、どこにでもあるような地方の文化会館ないし公民館の活動に終始している観があった。また、市が用意した"市民運営"というフレームすらも、市民参画の文化施設ということを謳うための隠れ蓑のようにも見えた。もちろん、そういった運営の在り方もひとつであろうが、プロパーの企画スタッフを全国公募し、華々しく開館したワークショップセンターの七年目の姿としては、あまりにも寂しいものがあった。「たくさんのソフト(機能)がインストールされているのに、まだほんの一部しか開いていないパソコンのようだ」とは、後にワークショップ・ディレクターを経て芸術監督となる大岡淳の言葉だが、まったくその通りで、月見の里学遊館の潜在性を活かすために、少しずつ変革を進めることにした。 
市民×事務局×アーティスト ~少しずつの変革

「あくまでも市民の皆さまが企画するのだから、君はあくまでもその調整役だ」と市の職員である当時の館長に再三言われながらも、自主事業の企画立案にあたって現状の市民サポーターの定例会および実行委員会における企画決定のシステムを維持しながら、企画スタッフによる企画提案を積極的に行い、また前年度に決定されていた企画をアレンジするなどし、実行委員会で決定された企画の調整にとどまらず、いわば自主事業のキュレーションを行うという企画スタッフの立場を鮮明に出した。またこのような企画スタッフの立場を、徐々に市民サポーターに浸透させていく努力をした。無論、私と館長の関係は悪化していったけれども。

そうした中で、2008年から財団法人静岡県舞台芸術センター・文芸部に所属する演出家の大岡淳をワークショップ・ディレクターとして招いた。2007年度末から市民サポーターと大岡淳の会合を慎重にセッティングし、実行委員会の承認を経ての招聘決定であった。外部から専門家(アーティスト)を指導的な立場で招くことにはひとつの狙いがあった。市民サポーターにとって、企画スタッフがキュレーターであるという立場をいくら旗幟鮮明に打ち出したところで、あくまでも企画スタッフは「市民の企画を調整する立場ではないか」という開館以来定着化した考え方が依然あるように思えた。また、かつて辞任に追い込まれた企画スタッフの姿を重ねる人もいたに違いない。そういった点から、企画スタッフと考えを共有できて、対外的にも対内的にも、専門家であるという立場の人間を招くことで、実行委員会と企画スタッフが連携できるのではないかと考えた。誤解を恐れずに言うならば、市民と事務局サイドを繋ぐ緩衝材として、外部に所属する専門家が媒介となるようなシステムを作ることが目的であったと言える。しかし、2008年の時点では、館はまだ市の直営であり、事務局内の市の職員と企画スタッフが一枚岩となれるはずもなく、あくまでも企画スタッフ個人と実行委員会、そしてワークショップ・ディレクターが想いを一つとしているという状況であった。
さらなる飛躍~指定管理者制度による運営

2009年より、館は指定管理者に運営を委ねられた。指定管理者には、開館以来の自主事業の企画運営を行ってきた「飛躍のまちづくり実行委員会」、市下の文化活動を取りまとめている「袋井市文化協会」、そして建物管理とプール業務を行う法人2社による共同事業体(任意団体)が、採択された。これを機に、より方向性の定まった運営を行えるであろうということを前提とし、大岡淳を芸術監督として据えることを、実行委員会で承諾を得た。ワークショップ・ディレクターから芸術監督へと呼称を変えることで、より館の事業を対外的に発信できる土台を作っていけるのではという大岡からの提案であった(ちなみに、芸術監督としての報酬は基本的になく、大岡が関わる事業ごとに、その都度謝金を支払うという形の契約であった)。芸術監督は、企画スタッフと共に企画をつくり、実行委員会においてはアドバイザー的な立場で参加していた。よって、芸術監督は事実上、あくまでも実行委員会との関係におけるものであり、市当局、または共同事業体理事会から正式に認められた公式ポストではなかった。

一方、経営面においては、一般企業での要職経験者が事務局長に就いたことで、より自由度の高い自主事業企画を展開にするにあたっても、予算執行での手綱はきちんと握られた。自らが落語を興じる事務局長ゆえに、企画に対する理解が柔軟であり、順当に企画が遂行できると同時に、月見の里学遊館は経営的見地からも安定が図られていく。

(後篇に続く)

戸舘正史(月見の里学遊館企画スタッフ/アートマネージャー)
プロフィール
戸舘正史
(とだて・まさふみ)
月見の里学遊館企画スタッフ/アートマネージャー
1977年青森生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。出版社勤務を経て、静岡文化芸術大学大学院文化政策研究科修士課程修了。2007年4月より月見の里学遊館に勤務。館事業の企画運営、市民ボランティア組織のコーディネートに務める一方で、労音運動と鑑賞組織の研究を行う。日本文化政策学会、日本アートマネジメント学会、演劇人会議、各会員。
第八回 港大尋氏(作曲家/ピアニスト/月見の里学遊館レジデンスアーティスト2011)
第七回 戸舘正史(月見の里学遊館企画スタッフ/アートマネージャー)
第六回 戸舘正史(月見の里学遊館企画スタッフ/アートマネージャー)
第五回 平井洋氏
第四回 山森達也氏
第三回 鈴木滉二郎氏
第二回 倉田布美江氏
第一回 大岡淳氏インタビュー